OpenLab DaBY Round Table Talk vol.2 柿崎麻莉子× 島崎麻美 × 唐津絵理 育児と創作環境(2)
OpenLab DaBY Round Table Talk 育児と創作環境のvol.2です。
■vol.1 はこちら
登壇者:柿崎麻莉子、島崎麻美、唐津絵理
ファシリテーター:東海千尋、神村結花
育児を経て、創作をする上での心境の変化
東海:柿崎さんは、お子さんが小さい頃にDaBYでクリエイションされたお話がありましたが、自分1人でクリエイションをしてた時からどのような心境の変化がありましたか?お子さんがいる物理的な変化もあったかと思いますが、創作する上でのインスピレーションや考え方の変化はありましたか?
柿崎:子どもができて、「まあいいか」ということが多くなって、あまり根詰めないようになって。これがアーティストとして良いことなのかは分からないのですが、大らかさや、他の人の意見も取り入れやすくなったということもあります。今娘は2歳半なのですが、もう本当に忙しくて。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、迎えに行ったりで、自分が何かを想像したり、考えたりする時間がないんです。もうずっと子どものことばかりで。DaBYで上演した『Can’t-Sleeper』は、不眠についての作品だったのですが、自分の生活の近くにあることが作品の題材になるようになりました。自分の外にある小説やファンタジーが作品になるのではなくて、自分が今生きている社会の作品になってきて。これは娘のおかげだから本当によかった。この変化を感じることができてすごく嬉しいです。
東海:私は『Can’t-Sleeper』を見て温かみを感じました。すぐ近くにある温かさを感じたので、お子さんが生まれて変わったことがあったのかなと思いました。
島崎さんはいかがですか?唐津さんの過酷な状況に比べると、カンパニーの受け入れ体制が整っていたと思いますが、踊ることに対して、心境の変化や今までこれは考えてなかったなどの新たな発見はありましたか?
島崎:ありました。柿崎さんがおっしゃったように、やはり忙しいので、競争心が減ったというか。ライバルや団長だったオハッドのために踊るということが全然なくなって、自分のために踊るようになりました。そういう意味で吹っ切れたというか。自分の生活をダンスに出せるようになったと思います。全然踊り方が変わったのではないかな。
柿崎:私も似たようなことを感じていて、言い訳をしなくなりました。「電車が遅れて全然ウォームアップができなかったんです」ではなくて、本番の3分前まで子どもを寝かしつけて、ステージに上がれるようになりました。
島崎:分かる分かる、その感じ。ぐっと持っていき方も早くなるよね。
唐津:家事などもマルチタスクといいますよね。切替ができるようになる。
東海:唐津さんもそのような感覚を持つようになったんですか?現場で働くことと育児との狭間で、お子さんが生まれる前よりも、切り替えることが得意になったなど。
唐津:やらなくてはいけないじゃないですか。泣いていて、もしかしたら死ぬかもしれないと思ったら、何も考えることはできない状況になってしまうので、引きずることはなくなります。会社で嫌なことがあったり、何かもやもやすることがあっても、家に帰ったら子どもに向き合うことに徹するので、自分の中のスイッチは、はっきり分かるようになってきました。
一方で、社会の子ども達の状況も気になるようになるんです。ダンス業界や劇場って、どうしても特殊な人たちの集まりなんですよね。子どもが生まれると、PTAやクラブ活動、町内会だったり、これまで接してこなかったコミュニティと接するようになります。普段なかなか目を向けていなかった人たちとも付き合わざるを得ない状況が出てくる中で、日常とダンスが遠いことを嫌でも突きつけられる。何の仕事をしていますかと聞かれて説明するのが、とても難しいんですよね。だから、今まで劇場の中で好きな人のために作品を作っていればよかったところから、もっといろいろな人たちに見てもらうためにはどうしたら良いのだろう、どんな企画が良いのだろう、と考えるきっかけになりましたね。
子ども向けのワークショップや親子向けの企画
東海:お子さんが生まれて様々な関わりが広がる中で、これまではなかった企画など新しく始めたことはありますか?
唐津:1つだけ紹介します。上の子が6歳で、下の子がまだ1歳だった時に近所の小学校に持ち込んだ企画です。これは愛知県芸術劇場で実施したものではなくて、自分の周りの地域でダンスを見せることができないかと思い、舞踏家の伊藤キムさんとジャズピアニストの山下洋介さんと、子どもたちとでパフォーマンスを作ろうということで、小学校の体育館で2週間くらいレジデンスをさせていただいて。この学校の子ども達と近所の子どもたち、愛知県内のダンサー達も集めて、丸一日学校を使ってパフォーマンスをしました。校舎を全部使い、最後は全員でというプログラムになりました。仕事の夏休みを使って、ただでさえ忙しい育児中なのですが、劇場の中にとどまっていることが、私の中では苦しくなってしまって。この頃、空いている時間はこのように外で企画を作っていました。
柿崎:今でこそ、インターネットで誰でも調べられるから、子どもが行ってる保育園で、「私はダンスしてます」とお話ししたら、いつの間にか検索してくれていて。先生方がダンサーの仕事を理解してくれています。そうしてくれた方が私達も通わせやすくなります。
唐津:なるほど。この企画は2002年に作ったんですけど、今の方が学校が厳しくなっているのではないかと思います。当時はまだインターネットもなくて。でもおおらかな先生がいて、「やっていいんじゃない?面白いし」くらいの感じでできたかな。珍しかったこともあって、NHKがドキュメンタリーにしてくれて、最後にある子がインタビューで、「僕は絶対ダンサーになります」と言っていて、ポロポロ(涙)でした。ダンスカンパニー伊藤キム+輝く未来にいたダンサーや、BATIKの黒田育世さんもアシスタントで入っていらっしゃったり、すごく充実していました。
東海:(映像を見て)みんなとてもいい顔してますね。すごく楽しそう。
唐津:何でもありでしたね。普段学校内で走ってはいけないと言われるから廊下を走ろうということや、水道蛇口を全部ひねりを出して水びしょびしょにして、その上で乗って遊ぶなど。ここまでおおらかな学校はないかもしれません。こういうことをやりたいと思ったのも、やはり子どもがきっかけですね。でもエネルギーがなくて続けられませんでした。今これをやろうとすると、学校への交渉や父母への説明が大変すぎてできないと思います。
柿崎:私は子どもができてから、子ども向けのワークショップにも興味を持つようになったり、赤ちゃんと親が一緒に踊れることを考えるようになって。今、子どもを片手に抱っこしながら自分が何したいかなと考えると、やはり自分と同じ人たちと踊りたいし、それがすごく自然なことだったから、自然と興味や関心がいったのだろうなと思って。唐津さんも同じことをしているなと思いました。
唐津:私も実は5、6年くらい前から、6ヶ月から2歳の赤ちゃんと踊ろうという企画を愛知県芸術劇場で実施しています。抱っこができるということが前提なのですが、赤ちゃんを重り代わりにして、赤ちゃんとお母さんお父さんが一緒にダンスを体験できるというワークショップです。夏休みにやっていて、毎年好評で継続しています。
柿崎:私は2歳の娘も連れて行って、赤ちゃんと親のクラスをやりました。みんなと一緒に踊ったら娘が眠くなってしまったみたいで、30分くらいしたら泣き始めてしまって。もう手に負えなくなり、私の力不足でしたと言って、途中で終わりました。でも、お母さん方、子どもが手に負えないことを知っている人達ばかりだったから、そうだよねと言ってくれました(笑)。
唐津:私が企画しているワークショップは、講師は赤ちゃんを連れてきていないですが、その方も子どもがいて、どうしたら赤ちゃんや子どもがいる人をダンスに巻き込めるかと考えられていて、皆さんやはり子どもを持つことはきっかけになりますよね。
子育てを経てからの新しいキャリア
東海:島崎さんは、お子さんが少し大きくなった時に学校でのお仕事もされていたということですが。
島崎:バットシェバ舞踊団で5年間育児と両立していたのですが、やはり少し限界が来て。娘が1年生になる頃に、バットシェバ舞踊団も12年いたので十分かなと思って辞めたんです。ちょうどその時に、デモクラティック・スクールという学校にダンス講師として呼ばれて。1年間はそこでフリーランスとして働いていたのですが、カンパニーの守られた環境にいるのとは違ってすごくきつい。2年目にちょうどそのデモクラティック・スクールで担任になってくれないかとオファーをもらいました。興味もあったため、ダンスから休みを取って、第2のキャリアとして教育をやってみようと思って。今までふわふわと華やかなダンスの世界にいて、育児、そして教育の世界に入っていく中で、どんどん下に降り立ったような感じで。それから10年くらい担任を続けました。娘が大きくなったということもあって、やはりダンスが好きなので戻りたいなと思い、今は週に2回に減らして、担任業は辞めました。
東海:担任業はどのような感じなのでしょうか?
島崎:デモクラティック・スクールは、年度の初めに子どもたちが好きな担任を投票で選び、1時間に5つくらいある授業から選んで、自分に合った時間割を作るシステムです。担任の仕事は、週に1回、自分を選んでくれた子ども達と話したり、遊んだり、悩みを聞いてあげたりすることです。あとは朝礼とグループで週に1時間集まったり。
東海:日中に行く普通の学校で、自分たちで好きな担任を選んで、好きなクラスを取るんですね。生徒が担任の先生を選ぶっていうのは、その前に会う機会があるのですか?
島崎:はい、年度の初めに担任や授業を試す期間が2週間ほどあって、その後に1グループ20人ほどで第3希望まで投票して決まります。
東海:ダンスも教えられていたのですか?
島崎:週に10時間くらい授業を持つうち、8時間がダンス、2時間が日本の文化を教えていました。ダンスもいろいろな種類を教えていて、バレエや自由に踊る時間を、小学校1年から高校3年生までレベルやスタイルを分けてやっていました。
東海:教育に興味を持たれたのは、子育てをするようになってからでしたか?
島崎:デモクラティック・スクールとの出会いがラッキーだったということもありますが、ふわふわした踊りの世界にいて、シングルマザーだったこともあって、教育の中で学ぶことが多くて。子育てする中で、こういう時はこういう風に伝えれば良いんだなど学んだことは多いです。
東海:島崎さんも唐津さんもお子さんが20歳を超えられて、関係性やキャリアへの子育ての影響もだいぶ変わってきたと思いますがいかがですか?
唐津:そうですね、難しいですよ。小さい頃の大変さとはまた違う思春期がくるじゃないですか。関係性って、近すぎても遠くても難しいところがあると思うんです。教育の話がありましたけど、それって子どもだけではなくて、他者とどう向かい合うかにも繋がってくるところがあります。今ここで、息子たちと同じくらいの歳の若いダンサーたちをどう迎えるか、生かせる部分がある。未だに学ばせてもらっています。
OpenLab DaBY Round Table Talk vol.2 育児と創作環境(3)に続く。