『ダンステレポーテーション』活動レポート#12
栗朱音インタビュー
(聞き手:山﨑広太)
山﨑広太さんの「対話」をコンセプトとした新プロジェクト『ダンステレポーテーション』が進行中です。
山﨑さんと11名のパフォーマーが、新型コロナウイルス流行下での創作活動を、文字通り手探りで行っています。
「基本的に、振付家とダンサーは、場と時間を共有することで作品制作を行っていきます。それが不可能となった現在、振付家は、どのようにしてダンサーとの関係を築き作品を制作することができるのでしょうか。場所も時間も超えたダンスの在り方を探るという意味で、この挑戦にたいして『ダンステレポーテーション』と名付けました。」
(山﨑広太『ダンステレポーテーション』ステートメントより抜粋)
クリエイションのプロセスは、山﨑さんがビデオ通話で各パフォーマーにインタビューを行うことから始まります。次に、山﨑さんがインタビューからインスピレーションを得て紡いだ言葉をパフォーマーに送ります。そして、パフォーマーはその言葉を起点に創作することで山﨑さんに回答します。
今回は栗朱音さんへのインタビューの様子をお届けします。
他アーティストから受ける影響や、ダンスアーティストとしてのキャリアの重ね方などに関して、お二人の好奇心が行き交う対話となりました。
パフォーマーへのインタビュー、ついに最終回です。
(テキスト・編集:吉田拓)
長野県出身
6歳からクラシックバレエを倉島照代、17歳から鈴木恵美 、鈴木由貴に師事。
日本女子体育大学舞踊学専攻卒業。
これまで鈴木ユキオ、笠井瑞丈、伊東歌織、鈴木竜、福留麻里、柿崎麻莉子の作品に出演。
笠井叡に師事。07年にニューヨーク・パフォーマンス・アワード(ベッシー賞)、13年現代芸術財団アワード、16年ニューヨーク芸術財団フェロー、18年グッゲンハイム・フェローの各賞を受賞。20年ニュージーランドのFootnote New Zealand Danceの新作「霧、神経、未来、オーシャン、ハロー(木霊する)」でオンライン・クリエイションに挑んだ後、NZ国内で初演、日本で映像配信を行う(共催: DaBY)。また、北米ツアーを予定。 ボディ・アーツ・ラボラトリー主宰。http://bodyartslabo.com
ベニントン大学専任講師。
- 山﨑
- このインタビューを参考に僕が言葉を綴ってお送りするのですが、ダンス的な視点から捉えた言葉なので分かりにくい部分が出てくると思いますし、時間や空間が目まぐるしく変わるようなテキストになるかと思います。その言葉を綴るために大切なのは朱音さんのダンス観や趣味といったことなので、本日はその辺りを少しずつお聞きしたいと思っています。
- 栗
- はい、よろしくお願いします。
- 山﨑
- 朱音さんはどのようにダンスをされてきたのですか?
- 栗
- 長野県出身なのですが、小さい頃から倉島照代先生のもとでクラシックバレエを踊っていました。コンテンポラリーダンスには日本女子体育大学在学中に出会いました。
- 山﨑
- 大学では、どのような活動をされていたのですか?
- 栗
- 所属していたダンス・プロデュース研究部の企画公演で笠井瑞丈さんや伊東歌織さんの作品に出させていただいたり、自分たちで作品を創ることもありました。
- 山﨑
- 影響を受けた振付家はいますか?
- 栗
- イスラエルのオハッド・ナハリンさん、そしてカンパニーに参加させて頂いている鈴木ユキオさんです。
- 山﨑
- オハッド・ナハリンさんというとGAGA(※1)の考案者としても有名ですね。
(※1)GAGA(ガガ)…イスラエルを代表するダンスカンパニー「バットシェバ舞踊団」の芸術監督をおよそ30年間務めた振付家オハッド・ナハリンが考案したダンスメソッド。参加者はナビゲーターから言葉で投げかけられる、動きのイメージや指示を受け入れながら、即興的に身体を動かし続ける。近年は世界中で注目を集めており、多数のワークショップが開かれている。 - 栗
- はい、私はGAGAも好きです。自粛生活で家に籠もっているとSNSを見る時間が増えて、考え過ぎたり、自信を無くしてしまうことがありました。そこで頭をまっさらにしたいと思い、最近瞑想に取り組んでいるのですが、瞑想で使われる言葉や内省的になれるところがGAGAと似ているように感じています。
- 山﨑
- GAGAについては、僕は映像でしか見たことがありませんが、体験していると旅をしているような感覚になるのでしょうか?だんだん違ったところにトランスフォームしていくような。
- 栗
- そうですね。感覚としては、内省的になり自分を見つめるのと同時に、動いている間は常に目を開いていないといけないので、外に目を向けて空間を感じてもいます。
- 山﨑
- 鈴木ユキオさんの作品については、どのような印象をお持ちですか?
- 栗
- ユキオさんは作品の題材に「原子爆弾」のような、社会的なテーマを選ばれることが多いのですが、表現にした時に悲しい事柄でも悲しく見せ過ぎないというような印象があります。例えば作中で、ダンサーが原子爆弾が落とされた当時の子ども達の無邪気な姿を体現し、その背後には対照的なものが置かれているという場面がありました。ユキオさんのカンパニーに参加することで、そういった「表現し過ぎない良さ」やムーブメントなどについて勉強できていると思います。
- 山﨑
- ユキオさんも僕と同じく舞踏にルーツがある振付家ですね。
僕が教えている大学で、ある学生が「舞踏は辛いとか痛いとか、ネガティブな言葉ばかりだ。でも、もっとポジティブで明るいダンスの言葉があっても良いんじゃないか。」と言っていました。確かに舞踏というとネガティブでダークなイメージがありますが、僕にとっての舞踏は「白」や「蒸気」という風に、あまりドロドロしていません。将来的に僕は微妙なニュアンスの中でムーブメントがあるような作品を創るような気がしています。 - 栗
- そうなのですね。
広太さんはどういったものからインスピレーションを受けて、作品を創るのですか? - 山﨑
- 僕は作品を創り始める際、劇場と交渉したり助成金を申請するために、大まかなビジョンやステートメントを書きます。コンセプトとしてはアメリカにいるせいかもしれませんが、日本文化とアメリカ文化をエクスチェンジするようなものが多いかもしれません。暗黒舞踏や陰影礼賛、茶会や歌会といったものです。そういったところから言葉を連ねて、それからダンサーを集めて徐々に作品を作っていく感じですね。だから作品自体を創る時間は短いのですが、準備する期間を合わせると1つの作品に2年くらいかかってしまいます。
朱音さんはどのように創作をされますか? - 栗
- まだ私は作品を創る経験が多くありません。何かを表現したい気持ちはありますが、基本的にはダンサーとしての目線を持っているように思います。今は創作に関して決まった傾向はありませんが、イメージが思い浮かぶことはあるので形にしてみたいと思っています。これからいろいろ実験しながらですね。
- 山﨑
- そうですよね。場数を踏むと自分の方向性が出てきますし、焦る必要はないと思います。
オハッド・ナハリンさんの魅力をお聞きしてもいいですか? - 栗
- 選曲など、作品を創り上げる感性が好きなんです。シリアスな作品にも遊び心があって驚かされますし、刺激を受けています。
広太さんが私くらいの年齢の時に、影響を受けた振付家の方はいますか? - 山﨑
- 僕は20代の頃は振付家になるつもりは全くなくて、ダンサーとして活動していきたいと思っていました。日中はバレエのレッスンを受けて夜は舞踏の稽古に行ったり、文化服装学院に通ったりと、いろんなことを20代の時にしていて、自分の進路が定まっていない状態でしたね。30歳を過ぎると自分が生きていることを残したい気持ちが出てきて、創作に取り組むようになりました。
僕自身が一番影響を受けたのは、最初の先生である笠井叡さんだと思います。そして重要なことは、いかに自分が受けた影響を乗り越えて提示できるか、影響されたところから異なった地点に行けるかだと思います。ダンスは積み重ねなので、ある影響を受けたとしても、その影響を消化できるまで4、5年から10年以上かかるように思います。 - 栗
- やはり影響を受け過ぎてはいけないのでしょうか?
- 山﨑
- たくさん影響を受けてよいのですが、それをどのように消化して、自分の中で変換していくかが重要だと思います。
- 栗
- なるほど、よく分かりました。
広太さんがアメリカに行くきっかけは何だったのですか? - 山﨑
- いろいろありますが、その一つをお話します。以前セネガルに拠点を持つジャンメイ・アコギーさん(※2)という振付家のダンスカンパニーに招聘していただき、ルワンダのジェノサイドをテーマにした作品『Fagaala』を創りました。そういった経験を経て、黒人文化をリサーチしたかったということがアメリカに渡った理由の一つです。それにニューヨークはセネガルに近いですし、僕自身アメリカ公演を何度か経験していたことも関係しています。
(※2)ジャンメイ・アコギー(Germaine Acogny)…アフリカンダンスの母と称される振付家。1977年、セネガルのダカールに、モーリス・ベジャールとともにダンス学校「ムードラ」を設立し、芸術監督を務める。1998年より、ダンス教育の学校「エコール・デ・サーブル」とダンスカンパニー「Jant-Bi」を設立し、アフリカをはじめ世界中からダンサーを招き、伝統アフリカン・ダンスとアフリカン・コンテンポラリー・ダンスの普及に尽力している。2004年にJant-Biは、山﨑広太との共同振付作品『Fagaala』をヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、オーストラリア、日本で上演し成功を収めた。 - 栗
- ニューヨークに行かれて、いかがでしたか?
- 山﨑
- ニューヨークの良いところはコミュニティがある点ですね。自分がいるというアイデンティティを感じるというか。ニューヨークのアーティストは、自分のアイデンティティや社会へ主張することをモチベーションにしている人が多いと思います。それに対して、日本ではもう少しイメージやビジョンに重点が置かれているように思います。いずれにせよ、僕としては日本のダンスシーンでもコミュニティを創ることが重要だと思っています。
僕の話が続いてしまっているので、そろそろ朱音さんのお話に戻りましょう。
新型コロナウイルスが流行してしまい、多くの影響がありますが、どのように感じていますか? - 栗
- 割とプラスに捉えている部分があります。普段感じられないことに気が付きますし、自分と向き合う機会にもなっています。自分がどうしていくべきか、客観的に見ることができています。
私が家に籠もっている中でできるのはクリエイティブなことだと感じるので、私なりに何ができるのかと考えていますが、なかなか思い付きません。結局は10月から12月頃になれば劇場が再開するのではと期待しているので、今できることを、というよりは今年の後半に向けて私がどうありたいのかを考えています。 - 山﨑
- 本当にこの先どうなるか分かりませんからね。
お渡しする言葉を書くためのリサーチとしてお聞きしたいのですが、他ジャンルの表現で影響を受けたものはありますか? - 栗
- ファッションが好きです。結構ミーハーなので、流行りを追うことは多いですが。
- 山﨑
- どのような音楽が好きですか?
- 栗
- ビヨークが好きです。
- 山﨑
- 答えられればで結構ですが、朱音さんが生きていく上で大切にしていることは何ですか?
- 栗
- 好奇心を失わないことです。常に貪欲でいたいと思っています。
- 山﨑
- ダンスの良い部分は何だと思いますか?
- 栗
- 考えていることを、この体全身ですぐに表現できるところでしょうか。
- 山﨑
- わかりました。では、インタビューはこの辺りまでにしましょう。本日はありがとうございました。言葉を綴ってお送りします。
- 栗
- ありがとうございました。お待ちしています。
インタビューはいかがでしたか?
今回で山﨑さんによるパフォーマーへのインタビューは終了となります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本プロジェクトの展覧会、「ダンステレポーテーション」展~時空を超える振付、浮遊する言葉と身体~を開催することが決定しました。会場はDaBYアーカイブスペース他、会期は2020年8月7日(金)から9月13日(日)を予定しています。
詳細はDaBY WEBサイト内でお知らせします。どうぞご期待ください!
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