『ダンステレポーテーション』活動レポート#9
ながやこうたインタビュー
(聞き手:山﨑広太)
山﨑広太さんの「対話」をコンセプトとした新プロジェクト『ダンステレポーテーション』が進行中です。
山﨑さんと11名のパフォーマーが、新型コロナウイルス流行下での創作活動を、文字通り手探りで行っています。
「基本的に、振付家とダンサーは、場と時間を共有することで作品制作を行っていきます。それが不可能となった現在、振付家は、どのようにしてダンサーとの関係を築き作品を制作することができるのでしょうか。場所も時間も超えたダンスの在り方を探るという意味で、この挑戦にたいして『ダンステレポーテーション』と名付けました。」
(山﨑広太『ダンステレポーテーション』ステートメントより抜粋)
クリエイションのプロセスは、山﨑さんがビデオ通話で各パフォーマーにインタビューを行うことから始まります。次に、山﨑さんがインタビューからインスピレーションを得て紡いだ言葉をパフォーマーに送ります。そして、パフォーマーはその言葉を起点に創作することで山﨑さんに回答します。
今回はながやこうたさんへのインタビューの様子をお届けします。
ダンス活動の背景や、コロナ禍で感じていることを率直に語ってくださいました。
(テキスト・編集:吉田拓)
京都造形芸術大学 卒業。元野球部。ベイビーシアター振付家。
大学で舞台写真を専攻、和太鼓や石見神楽を習う。その後、会社員を経て30歳で踊り始める。
Pichet Klunchun、奥野美和、Dance Theatre LUDENS、白井晃などの作品に出演。島地保武、山﨑広太のプロジェクトに参加中。
笠井叡に師事。07年にニューヨーク・パフォーマンス・アワード(ベッシー賞)、13年現代芸術財団アワード、16年ニューヨーク芸術財団フェロー、18年グッゲンハイム・フェローの各賞を受賞。20年ニュージーランドのFootnote New Zealand Danceの新作「霧、神経、未来、オーシャン、ハロー(木霊する)」でオンライン・クリエイションに挑んだ後、NZ国内で初演、日本で映像配信を行う(共催: DaBY)。また、北米ツアーを予定。 ボディ・アーツ・ラボラトリー主宰。http://bodyartslabo.com
ベニントン大学専任講師。
- 山﨑
- ダンスを始めたきっかけを教えてください。
- ながや
- 大学では舞台芸術を専攻しました。当時からダンスに興味はあったのですが、身体で表現をすることと自身の気持ちとの折り合いが付かず、ほとんど踊ることはありませんでした。それでも舞台写真を撮影して写真集を作ったり、制作スタッフとしてダンス公演に関わったりしていたので、ダンスが好きだったのでしょうね。卒業して数年が経った28歳の頃、山田うんさんのワークショップに参加した時に、踊っている自分を“許せた”感覚があり「僕も踊って良いんだ」と思えたんです。それで30歳の時に神戸にあるダンスボックスのプログラム「国内ダンス留学」に参加し、本格的にダンスを始めました。
- 山﨑
- 1月末に行ったリハーサルでは、ながやさん独自のムーブメントが印象的だったのですが、今後の活動についてビジョンはありますか?
- ながや
- 僕の活動には波があって、自分の独自性を求める時期もあれば、バレエをベースにしたコンテンポラリーダンス等ある程度の型があるものを求める時期もあり、両者の間を揺れ動いてきました。ただ、これからもダンスを続けるならば、自分なりの表現方法を確立し、作品として発表していくことが必要だと考えています。
- 山﨑
- 僕自身20代の頃はダンスや舞踏をしていたのですが、将来への不安もあって文化服装学院でファッションを学び、井上バレエ団でチュチュを縫ったりもしていました。そして僕も振付活動を始めたのは30歳を過ぎてからです。ダンスをしたり、他の事をしたり、微妙に揺れ動きながらやってきました。
100%断言できると思うのですが、どんな人でもダンスを続けていると、それは自分自身について長い時間を費やすわけなので、何かしら開花する時期が来るんですよね。いま開花されていないと言っているわけではありませんが、将来に楽しみを持って続けていただけたらと思います。
作品を作る際の方向性について教えていただけますか? - ながや
- 自分で作品を作る時には、どうしても社会的な事柄を考える傾向があります。
- 山﨑
- それはすごく良い事だと思います。社会的というとニューヨークでは、アーティストが自分のアイデンティティを主張するというパターンが多いのですが、ながやさんはいかがですか?
- ながや
- 僕自身「自分の境遇」を話すのが苦手なタイプだということもあり、自身のことよりも社会問題や政治の事柄が気になることが多いです。ただ、今までそういった大きな問題を作品にしようとした時には、テーマが曖昧になってしまって苦労しました。なるべく人がやらないことをしたいという気持ちもあるので、次に創作する時には、まず自分の身体性や、自分が面白いと思うことにフォーカスしようと考えています。
- 山﨑
- 新型コロナウイルスが流行している状況で感じていることを教えていただけますか?
- ながや
- 生活自体は結構ゆっくりとしていて、時間があるので映画を見たりして過ごしています。僕はどちらかというと流行が落ち着いた後の不安の方が大きいですね。経済的にはもちろんですが、さらに不安なのはオンラインでの表現や活動が増えていく中で、人と人とが対面し、同じ空間にいることの重要性が希薄になっていかないか、ということです。ただ、多くの方は、そういった重要性を感じながらオンラインでの活動をされていると思いますし、逆説的に舞台芸術などのライブ表現に意味が出てくるとも考えられます。先行きへの不安はありつつも、その辺りに今後の面白さがあるのかなとも思っています。
- 山﨑
- そうですね。いずれにしろ何らかの形で動いていないと止まってしまうので、継続して行動するしかありませんよね。ソーシャルディスタンシングによって、劇場に多くの人数が入れない状況が続いても、それでも何とか良い方法を考えながら。
- ながや
- ポジティブにやっていくしかないですよね。
- 山﨑
- 人が集まるということが舞台芸術の醍醐味だったのですが、基本的にはそれができないわけですからね。一方でこうしたビデオ通話ができているので、できることをやるしかないと思います。
これまでに影響を受けたアーティストはいますか? - ながや
- 京都造形芸術大学で受けた影響は今も残っているように思います。先生方に舞踏出身の方が多く、特にダンス、踊りについての考え方は色濃く残っているように感じます。
- 山﨑
- 先生は山田せつ子さんですか?
- ながや
- 山田せつ子さん、岩下徹さん、寺田みさこさん、伊藤キムさん、といった方達です。最初にお話した理由により、僕が在学中に受けたダンスの実技は一年生の学期の半分、内容も基礎のようなものだけです。それでも講義を受けたり、作品をみたり、図書館で本を読んだりする中で、かなり影響を受けたように感じます。
- 山﨑
- 好きな振付家はいますか?
- ながや
- 今の話とは少し変わってしまうようですが、イスラエルのバットシェバ舞踊団が好きなので、オハッド・ナハリンです。GAGA(※1)も好きです。
(※1)GAGA(ガガ)…イスラエルを代表するダンスカンパニー「バットシェバ舞踊団」の芸術監督をおよそ30年間務めた振付家オハッド・ナハリンが考案したダンスメソッド。参加者はナビゲーターから言葉で投げかけられる、動きのイメージや指示を受け入れながら、即興的に身体を動かし続ける。近年は世界中で注目を集めており、多数のワークショップが開かれている。 - 山﨑
- ながやさんへの言葉を綴るためのリサーチとして、幾つか質問させてください。
好きな場所はありますか? - ながや
- 京都が好きなのですが、なかでも銀閣寺の奥にある、五山の送り火で知られる大文字山が好きです。1時間くらいで登れるのですが、あまり整備されておらず電灯もなく、夜は本当の真っ暗闇です。野生の鹿がいるようなところですが、その山を登っている時間と頂上から眺める景色が好きですね。
- 山﨑
- 好きな映画はありますか?
- ながや
- 何度も見てしまうのは『ダークナイト』です。でも強烈に印象に残っているのは『時計仕掛けのオレンジ』ですね。ただ、キューブリックの作品は観るのにエネルギーを使うので何度も観ることはありませんが。全体としてはSF映画が好きです。
- 山﨑
- それでは最後に実験しつつ、ながやさんの言葉を頂きたいです。おでこに指で触れて、その感触から思い浮かんだ言葉を教えていただけますか?
- ながや
- (おでこに触れて)「指紋」「凹み」「熱量」「枠」です。
- 山﨑
- わかりました。本日はお話いただいて、ありがとうございました。言葉を綴ってお送りするので、リアクションをください。他のパフォーマーと共に、異なる方向を向きながらも一つの作品を作っているという風にアプローチしていただけると嬉しいです。
- ながや
- 楽しみにお待ちしています。ありがとうございました。
インタビューはいかがでしたか?
次回のレポートは、望月寛斗さんへのインタビューを予定しています。
引き続き、ダンサー同士の対話をお楽しみください。
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