生きることへのまなざし:小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『ダンス作品第3番:志賀直哉「城の崎にて」』評
Dance Base Yokohama×愛知県芸術劇場×メニコン シアターAoi パフォーミングアーツ・セレクション2025 Festival Edition|『ダンス作品第3番:志賀直哉「城の崎にて」』 愛知県芸術劇場/©︎HATORI Naoshi
踊るのをやめてからも舞台に残り続け、周囲でめくるめく展開される踊りを見やるダンサー。[小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク]がその種の「見者」としてのダンサーの姿を舞台に載せるのは、なにも今に始まったことではない。スペースノットブランクが開発してきたメソッドことフィジカル・カタルシスは舞台に立つ身振りの展開可能性をゼロベースで試行するものだったし、そこでは「見る」という動作がそれ自体ダンスと解釈しうるものとして呈されていた。しかし新作の『ダンス作品第3番:志賀直哉『城の崎にて』』において見者としてのダンサーが示す振る舞いからは、見ることのより強い積極性が感じ取られた。
理由を考えるに、作品の題名にも付された志賀直哉『城の崎にて』の存在がやはり大きいものとみられる。同作は山手線の電車に跳ね飛ばされて重傷を負った志賀が、兵庫は城崎の地にて療養をするさなか、蜂や鼠、いもりといった小生物らの死を観察するうちに、生きることと死ぬこととの偶有性を看取し、「生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした」という感慨に達するまでを描く短編小説である。すなわち、そこでは語り手が城の崎の風土や生に投げかけるまなざしを主な推進力として話が進んでゆくのである。
小野と中澤によるステートメントには「志賀直哉『城の崎にて』の内容、執筆の過程と根拠、小説家が「城崎にて」滞在し、そこでの出来事を創作に転化する行為のコンテクストに着想を受け」たとある。作家にインスピレーションを与えたという「出来事を創作に転化する行為のコンテクスト」とは、志賀が城崎に向けたそのまなざしの軌跡だっただろう。舞台上の見者らがほかのダンサーの踊りに向けるまなざしは、生と死との偶有性を知悉した者、生の有限性を見極めながらその外側に立つ者のそれに思えてならなかったのである。作品に内包された「外」からのまなざしが、演者らの生きた身振りを死と相即的なそれとして照射する。
いま「生きた身振り」と書いたが、この言葉は従来の[小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク]の舞台にあてがうにはいかにも不似合いである。実際、本作において示された身体性は、これまでのかれらのダンスにみられたそれとはこの点で大きな対照をなす。
Dance Base Yokohama×愛知県芸術劇場×メニコン シアターAoi パフォーミングアーツ・セレクション2025 Festival Edition|『ダンス作品第3番:志賀直哉「城の崎にて」』 愛知県芸術劇場/©︎HATORI Naoshi
かれらが試行してきたフィジカル・カタルシスのメソッドから出力される動きは、脈絡の(読み取れ)ない非情な高速さをその特徴としており、疲れを見せずにムーブメントを素早く着実に繰り出すダンサーの姿にはどこか人間離れした感があった。直近でいえば、2024年12月に上演された『再生』(原案:多田淳之介)は「30分の物語を3回繰り返す」ことをコンセプトにした作品だが、生と死とが明確なはじまりも終わりも持たないままに間断なく反復されるその舞台において、ダンサーらは徹頭徹尾シミュレーション的な状態を通過するハイパーリアルなゾンビ的身体として現出していたと記憶する。
今回の『ダンス作品第3番』でも、身振りは素早く繰り出されはする。しかしその身振りには表情や疲労のあとがあった。さらにいえば、本作においてはこれまで[小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク]が慎重に遠ざけてきたとおぼしきエロティシズムさえ立ち上がっていた。実際に消耗し、死にゆく身体、生の有限性を持ちこたえようとする身体がそれゆえに放つエロティシズムである。
Dance Base Yokohama×愛知県芸術劇場×メニコン シアターAoi パフォーミングアーツ・セレクション2025 Festival Edition|『ダンス作品第3番:志賀直哉「城の崎にて」』 愛知県芸術劇場/©︎HATORI Naoshi
2025年の[小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク]は大きな転回点を迎えた。ダンスを制作する際、従来あえて用いずに来た「作品」の語をタイトルに冠するようになったのである。それまでのかれらのダンスは完結した舞台の提示というよりも、フィジカル・カタルシスというメソッドの提示、稽古場において同メソッドにより集積された身振りたちのプレゼンテーションたらんことを志向していた。フィジカル・カタルシスでは、ダンサーたちの稽古場での身振りが互いに触発し、影響し、反射しあうプロセスを経て、間主体的に身振りが生成されてゆく。
このフィジカル・カタルシスは、『ダンス作品第3番』においても用いられていた。だから、大きく変わったのは制作の方法というより、そのプレゼンテーションとこれを支える身体のありようだ。本作で上演されたのは、城崎という場で過ごしながらダンサーたちが通過した身振りの集積である。集積でしかない。この、私はかつてこのように動いた、私はこのように生きた者でしかない、という自同律的な明証性が、外からのまなざしによって枠づけられて一層強固になる。すなわち、このようなものであるほかない生の身振りが持つ説得性と、それをこの身振りにまさに説得されることで実演するまなざしこそが、『ダンス作品第3番』における生死の境への感慨の基底をなしていたものであるように、私の目には映ったのである。
2026年1月17日
植村朔也
メンター:竹田真理
◆プロフィール
植村朔也
批評者。1998年12月22日生まれ。東京はるかに主宰。千葉県出身・在住。スペースノットブランク保存記録。
過去の文章に「柴幸男 劇場の制作論」「その手のもとに「劇場」はある」(演劇最強論-ing webサイト掲載)「質問の陥穽 あるいは、透明性の時代」(スペースノットブランク公式サイト掲載)など。PARAにて「ドラッカーを読んで上演をつくる、集団をつくる」「「ドラマトゥルクの今日(The Dramaturg, Today)」(国際誌『Sound Stage Screen』掲載、英語、2021年)を読む」開講。DaBY ProLab 第1期 乗越たかおの”舞踊評論家【養成→派遣】プログラム”に参加し、スプリング・フォワード取材のため、開催地ダルムシュタット(ドイツ)へ派遣された。
竹田真理
ダンス批評。1990年代後半、長谷川六・編集発行の舞踊評論誌「ダンスワーク」、季刊「ダンサート」をベースに活動。2000年関西に拠点を移しコンテンポラリーダンスを中心に取材・執筆を続ける。毎日新聞大阪本社版、「シアターアーツ」、演劇評論誌「Act」、ほかウェブ媒体、劇場やフェスティバルのサイト等に寄稿。2019年愛知県芸術劇場主催「鑑賞&レビュー講座」ナビゲーター、以後断続的に担当。国際演劇評論家協会会員。
◆世界に羽ばたく次世代クリエイターのためのDance Base Yokohama 国際ダンスプロジェクト”Wings”
Dance Base Yokohama(DaBY)新プロジェクト「世界に羽ばたく次世代クリエイターのための Dance Base Yokohama 国際ダンスプロジェクト”Wings”」を始動しました。
本プロジェクトでは、日本のクリエイターが国際的なプレゼンスを向上することを目的とし、日本を代表するアーティスト、制作者、ドラマトゥルクや批評家の育成、作品の海外での上演、さらなる再演の機会創出を目指します。
プロジェクトの名称は “Wings” (読み方:ウィングス) と付けました。12名のクリエイターが、メンターや講師との対話や海外視察、見本市でのプレゼンテーションなどの研修を重ね、企画・創作・初演・海外発表・再演までのプロセスを体験します。
この活動と同時に、DaBYが国際的に飛躍できる環境整備を行い、クリエイターの活動の場を広げていきたいという思いを表現しました。
尚、本プロジェクトは、文化庁による文化芸術活動基盤強化基金 (※) におけるクリエイター・アーティスト等育成事業の【舞踊部門】で採択された3件の事業*のひとつです。5年程度の活動計画のもと、3年間にわたる弾力的かつ継続的な支援を得て活動を行います。
文化芸術活動基盤強化基金
文化庁令和5年度補正予算において措置された補助金により、クリエイター・アーティスト等の育成及び文化施設の高付加価値化のために行う事業を実施するため、独立行政法人日本芸術文化振興会に文化芸術活動基盤強化基金が設立されました。
こちらの基金により、次代を担うクリエイター・アーティスト等の挑戦・育成が支援されるとともに、その活躍・発信の場である文化施設の機能強化について、弾力的かつ複数年度にわたっての支援が行われています。
*ほかの採択団体は、公益財団法人新国立劇場運営財団、公益財団法人日本舞台芸術振興会 (東京バレエ団)です。
▶︎いわきアリオス×Dance Base Yokohama×愛知県芸術劇場 Performing Arts Selection in Iwaki
▶︎小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『ダンス作品第3番:志賀直哉「城の崎にて」』
▶︎世界に羽ばたく次世代クリエイターのためのDance Base Yokohama 国際ダンスプロジェクト“Wings”