TRIAD DANCE PROJECT 「ダンスの系譜学」
「TRIAD DANCE PROJECT ダンスの系譜学」は、新国立劇場バレエ団、ネザーランド・ダンス・カンパニー(NDT)、フォーサイス・カンパニーに所属して世界的に活動を展開した3人の日本人女性ダンサー/振付家を特集し、彼女らの仕事の“原点”と、最新作を上演する。3人のキャリアを通して、古典的なバレエからモダン、ポストモダンを経てコンテンポラリーに至る20世紀の舞踊史を俯瞰し、21世紀の創造へ繋ぐ意欲的な企画だ。
酒井はな『瀕死の白鳥』/『瀕死の白鳥 その死の真相』
酒井は1997年に開場した日本初の国立バレエ団でプリンシパル(最高位)ダンサーとして活躍し、退団後も多彩な活動を展開する。彼女が最初に踊るのは、クラシック・バレエの名作『瀕死の白鳥』(初演1907年のフォーキン版を改訂)。四家卯大が舞台上で奏でる深いチェロの音色に導かれて登場し、酒井は毅然と美しい爪先、羽ばたくやわらかなアームス、高い技術に基づく抑制された表現によって、孤高の白鳥の死を詩情豊かに踊り、バレエダンサーとしての無二の存在感を示す。
対して、岡田利規の演出・振付による『瀕死の白鳥 その死の真相』(初演2021年)は、アクチュアリティを参照したテキストによって、この神話的バレエを鮮やかに解体する。衣裳は「白鳥」のまま、酒井は舞台上でマイクを装着、準備運動の後、スタート。酒井は古典版の流麗な振付を踊り、中断し、チェリストや客席にむけて、テクニックと演技を事細かに実況する。ロマンティックなパ・ド・ブレは、どこかコミカルな外股歩きに代わり、それどころか白鳥はプラスティックのボールを飲み込んではえずき、悶絶する。白鳥はどの時点で死を自覚したのか?死因は何か?朴訥な台詞回しと振りきったコメディエンヌぶりで酒井が演じるのは、環境問題とリンクし拡散されてネットの伝説になった現代の白鳥の死。儚い命の輝きを永遠たらしめるのが、もはや一人の天才の仕事ではなく匿名の群衆の情報拡散であるならば、死に瀕しているものは、本当は何だろう?
中村恩恵『BLACK ROOM』/『BLACK BIRD』よりソロ
中村は、バレエとモダンダンスの融合を掲げ1959年に設立されたネザーランド・ダンス・シアター(通称NDT)で、カンパニーの世界的名声を不動にしたイリ・キリアン芸術監督の元で9年間踊った。退団、帰国後もキリアン作品の継承者、深遠かつ豊穣な内面世界の振付家、ダンサーとして活動している。
まずは中村が自ら振付・出演するソロ『BLACK ROOM』(初演2021年)。薄闇と沈黙が支配する舞台に黒い服、白いマスクの女が歩み入り、女の静かな声が響く―「ここは、かつて私がいた部屋にそっくりだ…出口のない白い部屋」。この“人々が口にすることなく呑み込んだ言葉たちの部屋”で、女は手探りで歩み、宙に何かを書き付ける暗示的な身振りを続ける。音楽(作曲は、中村、キリアンと多く協働するハウブリッヒ)の展開に合わせ、踊りは内面の葛藤を語るごとく起伏を増すが、床を這う低い動き、鋭利な旋回は出口のない絶望の景色を提示してせつない。外界から“隔離”された状況で、ロゴス(言語)とパトス(情動)の均衡、集団と自我の均衡を失った実存のドラマを、中村は踊りの力で見事に立ち上げる。
続けて舞台は『BLACK BIRD』(キリアン振付、初演2001年)へ転換。厳かなジョージアの伝統音楽と融け合い、中村は繊細な明暗、豊かな音色を自在に支配して踊り、観客を日常の時間を越えた至福の美の世界へいざなう。キリアンが中村のために創作した本作は、再演ごとに中村のアーティストとしての成熟を示すのである。
安藤洋子『MOVING SHADOW』/『Study # 3』よりデュオ
安藤洋子は、フランクフルト・バレエ団を率いてバレエの概念を刷新した振付家ウィリアム・フォーサイスの元で15年間踊り、帰国後はダンサー、振付家、教育者として活動している。『MOVING SHADOW』(初演2021年)は、安藤と気鋭の若い2人のダンサー(木ノ内乃々、山口泰侑)のトリオ。青い空間にささやきと漠たる音の波が満ち、クールな安藤のソロ、その動きに後景の木ノ内がシンクロしていくが、コミカルな山口の闖入にムードが和らぐ。安藤の振付は予定調和を嫌い、三つの身体に固有のムーヴメント、動きのボキャブラリーを見極め、尊重し、対話し、繊細に重ね、ずらしながらダンスを紡いでいく。それによって、振付家の緻密な計算に基づいた冷たく硬質な美と、振付のルールに回収されない温かな人間味が同居する、抗いがたい魅力を持った作品が生まれている。
この振付の”原点”として上演されるのは、フォーサイス振付『Study # 3』(初演2012年)抜粋。安藤と、同時期にフォーサイス・カンパニーに9年間在籍した島地保武が初演時に託されたデュオ・パートである。長身で堂々たる体躯の島地、小柄で猫を思わせる安藤は、動きはもちろん声や動きの応酬でもダンスの常識をことごとく裏切り、しかしダンスはシームレスに進み、いつしか人為を超えた雲や風や水の流れのごとき、自然の美しさの境地に近付いていく。瞬間を極限の密度で生きることにより、有限の生は永遠を獲得する ―この魅力的な逆説を、二人は鮮やかに証明するのである。
岡見さえ